台湾その日暮らし


by ken1horie
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 大学の講義に関する事は書きましたが、同級生や、或いは先輩後輩との関係については、あまり書いていなかったので、ちょっと書いておこうと思いました。
 とはいえ、実際に何か具体的に書ける訳でもないので、思い出した事なんかを箇条書きにするくらいしかできません。

 ちょっと驚いた事に、日本の演歌好きの先輩や後輩がいて、話を振られても全然わからなくて、どう返答すればいいのか、判らなかったことがありました。先輩が「美空ひばりっていいよね!」と言ってきた時、正に私は尷尬(困惑する、とかの意味です)になってしまい「はぁ」って感じでしか返答が出来なかったことがあります。また、後輩がフェイスブックで、日本の演歌歌手についてポストしていた時に、自分よりも日本の演歌歌手について詳しいのを知って、ちょっと衝撃を受けた事もあります。

 実際に、私と彼ら、彼女らとは年齢が、かなり離れているのですが、それでも大学生活4年間で、その年齢の差をあまり感じずに過ごせたことは、幸運でした。先輩はあくまで先輩で、同級生は同級生で、そして、後輩は後輩で、と非常に解りやすい環境にいた感じがします。その年齢的な部分に関しても、私自身あまり気にならなくて、相手も気にしていなかったことに、どれだけ助けられたか。それだけで言ってしまえば、私は既に彼らの父母と年齢が近い訳で、それでも一緒に学生生活が送れて、その中で、同級生や、先輩後輩の関係が造れたのは、面白い、或いは日本ではもしかしたら経験することが出来ないことだったのかも知れません。

 大学卒業後も、フェイスブック等便利なものがあり、相変わらず同級生や、先輩後輩とは繋がりがありますし、おしゃべりも、時々します。そして、それ以外でも、時々ではありますが、ご飯を食べに行ったり、学校で彼ら、彼女らに会う事もあります。卒業しても、それは何も変わりません。
 そして、その何も変わらない部分が、よかったな、と思える部分でもあるんです。私自身は、日本人で、中国語もある程度は喋れますが、ネイティブみたいに流れる様には話せません。それでも、こうして関係が、幸いにもうまく続いているのは、やはり自分がそれだけ彼ら、彼女らから認められている存在ではあるんだな、と思います。

 自分がそう感じているだけで、必ずそうか、は判りませんが、やはり台湾大学で、台湾人学生と良い関係を築きたいなら、或いは友人との関係を造りたいなら、それなりの成績をとり、彼ら、彼女らを納得させるだけの結果を出すことが必要なんじゃないかな、と思う部分はあります。そして、それをするにも、やはり彼ら、彼女らと日常的に、何かしら接点や関係が必要なんじゃないか、と思います。

 台湾の大学で学んでいても、日本人だけで固まってしまう日本人学生も少なくありませんし、私はそれに関しては、どうのこうの言うつもりもありません。結局は、自分のしたいようにするしかないし、そうなってしまうでしょう。でも、もし日常的に日本人と一緒にいる生活を台湾でするのであれば、何も台湾に来る必要はないでしょう。日本の大学へ通えばいいのです。日本でしか学べないことがある様に(と思います)、台湾でしか学べないものも、あるでしょう(と思います)。もしかしたら、そういうことはないのかも知れませんが、少なくとも、台湾で学ぶ機会を大切にした方がいいんじゃないか、とは思います。

 そういう意味も込めて、私自身は、同級生や、先輩後輩に対しては、感謝していますし、中国語があまり上手くない日本人におつきあいしてくれて、ありがとう、と言う部分は正直にあります。

 本当にありがとう。
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by ken1horie | 2014-08-09 22:37 | 台湾大学留学 | Comments(0)
 四年の二学期に受けた講義は、専題討論(二)、学士論文(講義として、単位数に計算されるのです)、中国史(四)(明朝の成立から中華人民共和国成立まで)、漢字文化、日本近現代外交資料解析(二)、の合計13単位でした。

 専題討論(二)と学士論文は、特に分けて講義を受けたわけではなく、実際には論文を書いている途中で、自分が担当教授に進捗具合を報告したり、質問があれば、聞きに行く感じで、実際には講義らしい講義があるわけではありませんでした。歴史学系の学士論文は非公式のものなので、単なる単位としてしか、カウントされません。また、論文は指導教授の強い勧めで、日本語で書きました。台湾新報と台湾日日新報の記事をまとめた表等も含めて、論文のワードファイルの総字数は7万字を超え、指導教授に初稿を提出した時には「学士論文をこんなに真面目に書く学生はいない」と苦笑いされました。しかしながら、この学士論文が、この後私が書く修士論文の基礎となる内容であることは間違いなく、そしてその内容の半分以上が修士論文で使えるものになっています。(学位論文ではないので、結果的には修士論文のプロット的なものになったとも言えるでしょう。)
 中国史(四)は、最後に残った必修科目でした。毎週の指定閲読量が、100ページを超え、四週間に一度、小レポート形式の宿題があり、期末には研究式のレポート(6000字以上)もあり、尚且つ期末テストまである、非常に重い科目でした。とは言え、私自身は単位数の少なさもあり、多少の余裕があった為に、毎週の指定閲読書に関しては、ほぼ毎回読んで講義に参加していましたし、小レポート形式の宿題も全て規定通りにこなし、最後の研究式の期末レポートも、早々にテーマを決め書き終えることが出来、テストの結果も、そこそこ良かったらしく、予想に反して良い成績が獲れました。やはり、毎週の指定閲読書を読んでおくだけでも、レポートに関しても、期末テストに関しても、かなり負担は減りました。また、私は期末レポートを全力で書いていた為に、基本的にはテスト勉強はしていませんでした。寧ろ、期末レポートをテスト対策代わりにしていて、これは他の教科でも、同じようにやっていたものが少なくありません。そして私自身は四年生になるまで、レポートだけは、しっかりと書いてきたので、この中国史(四)の期末レポートも、過去に書いたレポートで疑問が出た部分を改めて別の形でレポートとして書いたために、資料集め等が非常に楽でした。レポートを常に自分でしっかりと書き続けていると、図書館の何処に、どの様な書籍があるのかが、日常的に把握できますし、また学術書からも、その著者が使っている文献や資料が何なのかが判るので、レポートをきちんと書く訓練を続けていると、レポートを書くこと自体の負担が、段々と減ってくるのです。余談になりますが、この経験がなければ、私は学士論文を書こうなんて思わなかったでしょうし、講義を受けながら、論文を完成させることも、難しかったと思います。私自身、そういう意味では、レポートの題材等で苦労した記憶は、殆どなく、基本的には常に期日で仕上げていました。また、このレポートを書くことが、私の中国語力を上げてくれました。そうしたレポートを通じての書くことの訓練は、やはり積み重ねが大切だな、と実感した部分があります。
 漢字文化は、漢字の成立や、歴史、その背景等の講義内容で、非常に面白かった講義でした。そして、私は以前書道を習っていた所為か、内容も比較的理解しやすく、楽しんで受けられた講義でしたが、テストの点数がイマイチだった所為か、成績は極めて普通でした。
 日本近現代外交資料解析(二)は前学期の講義の内容と変化はなく、今学期も日本外交に関する資料の解読を中心とした講義内容でした。

 この様にして、今学期の講義が終了し、そして私の四年間の大学生活も、終了しました。この年齢で大学で今更ながら勉強する事は、意味があるのか?人によっては、時間の無駄ではないか?とも言われましたが、私は決してそうは思いませんでしたし、大学で学んで以降、気付く事が多くありました。正直に言うと、私は台湾大学で学ぶ前までは、学術書を読んでも、あまり面白いとは思わなかったのですが、大学に入って学ぶうちに、その面白さや、内容を理解することができるようになりましたし、その著者がどんな資料を用いて、どの様な学術書を参考にしたり、批判して論文を書いているのか、が解る様になりました。そうした、学ぶことの訓練が、何かを理解したり、研究しようとする時には必要で、大学というのは、基本的にそういった考えることを訓練する場ではないのか、と私は四年間を通して感じました。そして、実際にその考えることの訓練は、実社会に於いても、役に立ちますし、応用も利きます。よく耳にする、大学の勉強は社会では役に立たない、と言う方は、どのような根拠で言っておられるのか、自分には興味があります。詰込み型の教育に対する批判もありますが、問題なのは、詰め込むだけで、その後の応用方法や、展開方法を教えないことが、問題ではないだろうか?とも、この四年間で思いました。何かを考える、思考する時には、基礎的な最低限の知識が必要で、これはどうしても、詰め込みになってしまう部分は否めない側面があります。

 あと、最後に台湾大学の図書館についてですが、書籍数も非常に多いのですが、一番便利な部分は数多くの電子資料庫が使える事でしょうか。ジャーナルに掲載されている論文や、資料の電子庫等で使えるものが非常に多く、ジャーナル掲載論文も、PDFをダウンロードでき、非常に助かりました。また、台湾内の大学の修士博士論文のPDFもダウンロードできる場合もあり、そういった電子ファイルになっている論文や文献、資料等の多くが使えるのは、学士論文を書くときに、大変助かりました。

 四年間を通しての講義で感じた事は、毎回講義に出席して、やることを全てやっていれば、単位は取れる様に講義が設計されている様に感じました。当然、それに関しては一定程度の中国語力が必要で、また多少は英語が読める事も(私は英語で苦労しました。高卒程度の英語力があれば、そこまでは苦労しないと思います)、前提条件としては必要です。ですから、実際に卒業するだけであれば、そんなに難しくはないでしょうし、軽い講義もありますから、その辺はそれこそptt(台湾のBBS)を参考にしたり、知り合いの日本人学生から情報を集めるなりして対応すればいいと思います。但し、本気でいい成績をとろうと思ったら、ハードルは一気に上がる印象がありました。台湾大学卒の資格だけ必要であれば、中文系国際班と言う、外国人学生専用に設定されている中国語の学部を選べばいいですし(転科は出来ません)、台湾大学での学び方は、人それぞれだと思います。(2014.8.10追記)

 私が四年間学んだのは、台湾大学なので、他の台湾の大学の様子は判りません。しかも、私は台湾大学の歴史学系で学んだだけであって、他の学部の様子も判りません。ですから、この一連のエントリーが、実際にこれから台湾大学で学ぼうとしている方のお役にたつかどうか、も私には判りません。しかしながら、台湾の大学で学ぶことを考えている方に、少しでもお役にたてば、と思います。
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by ken1horie | 2014-07-31 01:27 | 台湾大学留学 | Comments(0)
 四年の一学期に受けた講義は、専題討論(一)、近代西方歴史意識、日本近代外交史(一)(1920年代から日米開戦前まで)、日本近現代外交資料解析(一)、中国古代的科学・技術與医療、校園文化資産詮釈、の合計13単位でした。
 四年生の時点で卒業までに取得が必要な残り単位数が、26単位だったために、各学期に13単位ずつ取ることにしました。必要な系内選択の講義も既に取り終えており、自分の受けたいもの自由に選択できたのですが、それでも単位の数も考慮に入れる必要があり、簡単にはいきませんでした。とは言え、台湾史以外でも、自分が興味を持てそうな科目を選んだことは、間違いありませんでした。

 専題討論(一)は、学士論文のテーマについて、指導教授と討論をする内容で、講義とはまた感じが違っていました。途中までは決まった時間に討論を行っていましたが、学期後半からは、大体の書く内容が固まったので、問題がある場合や質問がある時に、教授に連絡して討論を行う形となりました。
 近代西方歴史意識は、フランス革命以後の、西洋史学史で思想史的な側面を含んだ内容と言えばいいでしょうか。講義内容自体は、非常に面白く、近代以降の歴史学者の多くが登場し、また彼らがどのように歴史を考えてきたのか、が主な内容でした。この講義のレポートで題材にハンナ・アーレントの「人間の条件(The human condition)」を選択したことが、彼女の著作に対して興味を持つきっかけとなりました。また、元々私は機械設計を生業としていたので、この「人間の条件」を初めて読んだ時に受けた衝撃は非常に大きいものでしたし、その機械設計に携わっていた背景から「work」と「labour」の概念の違いも、非常に捉えやすかった記憶があります。とは言え、ギリシャ哲学の基礎がなく、またマルクスも未読であったために(この本は、基本的にマルクス批判で構成されていると個人的には思っています)、私自身その内容は完全に未消化の状態ではあることも、間違いありません。しかし、遅まきながら、そういったギリシャ哲学や、マルクス、またはその他西洋哲学や思想の重要性(思考の上での基礎的な道具としての重要性)も改めて感じた講義内容でした。
 日本近代外交史(一)は、1920年以降、日本が戦争にひた走っていく時期の内容でしたが、ただひたすらに戦争に向かっていったわけではなく、当然途中に方向転換可能なポイントもあったにもかかわらず、結局は戦争を選んでしまった、というのが、講義を通して(自分でもその辺の関連書籍は何冊か目を通した結果からも)感じました。ただ、やはり個人的には1920年以降の、日本の政治なんですが、何故戦争を選択したのかが、未だに理解できないのです。日中戦争にしても、太平洋戦争にしても、その戦争の明確な戦略もなく、本当に私にとってはなぜ戦争を決断したのか、が不思議で仕方がないのです。それに加え、二学期に論文を本格的に書き始めてから、日本の戦前の食糧事情に関する論文書を読んだ時に知ったのですが、日本は1900年前後から、1960年辺りまで、米の輸入国でした。この食糧を輸入に依存している状態で、何故戦争を選択したのか、益々解らなくなってしまったのです。石油や鉄鋼材料も、アメリカに依存していた日本が、何故戦争を決断したのか。この辺は、機会を見て、少しずつでも調べてみた方がいいのかな、と思いました。
 日本近現代外交資料解析(一)は三年の一年間に受けた日本近現代資料解析(一)と(二)の続きとも言える内容で、科目名に「外交」が加えられました。解析資料は、外交に関するもので、講義の進行方法も、前年度の講義の内容と変化はありませんでした。
 中国古代的科学・技術與医療は、個人的な興味から、選択しました。元々機械設計をやっていた所為か、中国の数学や工業技術に進歩や革新が起こらなかったことに対しての疑問が以前からあり、そういうのも含めて理解できれば面白いかな、と思ったことが選択の動機とも言えるでしょう。修士課程が開講した講義でしたが、大学部の学生は、修士生よりレポートや通常の宿題が比較的楽で(それでも三通の宿題に、期末の研究レポートがありましたが)、講義内容に関しても、自分が普段興味を持たない分野に関するものもあり、バラエティに富んだ内容でした。あと、この講義は博物館や、歴史に関する展示に行くことも少なくなく、改めて博物館等に行き、展示を眺め、ガイドの説明を聞くのも、また一つの勉強なんだと感じました。
 校園文化資産詮釈は、台湾大学内になにがあり、それがどういう由来なのか、或いは大学にある植物はどんな種類があり、どのような生物がいるのか、等々、大学内に関する多岐の内容をテーマにした講義で、また一般の講義とは違い、公共芸術に携わっている芸術家が講演をしたり、また野鳥保護団体の方の講演を聞いたりする内容の外に、グループ(20人くらいかな)で、期末に向けて校内に関する何かテーマを設定して発表もしました。私自身、台湾大学校史館のサービスラーニング(所謂ボランティアのクラスで、内容は校史館のガイド)のTAを四年生になって担当することになり、学校のことをもう少し知っておこう、と思って選択したのがこの講義でした。実際、自分自身が校史館でガイドをする時にも講義内容が、役に立った部分もありました。しかしながら、私は小さいときから、ずっと共同作業が苦手で、このグループでの期末作業が本当に苦痛でした。ですから、共同作業や、みんなで何かを一緒にやるのが好きな人には、うってつけの講義だと思います。また、講義内容も重くはないので、普通にやっていれば、間違いなく良い成績は取れるでしょう。

 このように、単位数は13単位と、単位が少なめの学期でしたが、選んだ講義がよかったのか、自分が努力したのか、四年間で一番良い成績が取れ、結果として書巻奨(成績優秀賞)も取れ、学部から表彰され、賞状も頂きました(確か、3000元の奨励金も貰ったと思う)。中国語の非母語者が、この書巻奨を獲ることは、非常に珍しいみたいで、台湾人の友達にも、驚かれました。
 このように、論文の書く内容も決まり、学期が終わってから冬休みに入ると、早速論文を書き始め(実はファイルの保存ミスで1万字以上書いたものを一度消してしまい、もう一度書き直す事になったのですが、却って内容が良くなったので、結果的には良かった。また論文自体は、指導教授の強い勧めで、日本語で書くことにしました)、そしてその短い冬休みが終わると、最後の半年がスタートします。
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by ken1horie | 2014-07-27 00:23 | 台湾大学留学 | Comments(0)
 三年の二学期に受けた講義は、史学方法論、日本通史(下)(鎌倉初期辺りから江戸時代まで)、近代台湾城市史(清朝代から日本の第二次世界大戦の敗戦までの都市史)、「歴代宝案」與朝貢貿易、台湾史経典名著、伝統中国法、清代台湾開発史(二)、日本近現代資料解析(二)、の合計20単位でした。
 実を言うと、これに必修科目の中国史(四)を加えて23単位でスタートした三年二学期でしたが、この中国史(四)は毎週の指定閲読量が100ページ以上あり、なおかつ宿題やレポートもあり、討論のクラスは、指定閲読書を読んでいないと全く解らないという重い科目だった為に、この学期に受ける事を早々に諦め、カリキュラムから外しました。

 史学方法論は、歴史学の研究方法及び、理論に関する内容の講義でした。実際に歴史に関する理論や、或いはあるテーマに対する問題意識を抽出し、それをレポートにし、その内容の口頭レポートもありました(それも、自分が何かを発表することを意識して行う)。そして指定閲読も未読だと講義内容が理解出来ない部分もありました。この講義のTAが中国史(一)の時と同じTAの方で、講義に中に何回かサポートしてもらいました。本当に、このTAの方(博士課程の方)には頭が上がりませんでした(本当に頭のいい方で、敬服しています)。
 日本通史(下)は、前学期と同じく、3時間の講義で、最初の1時間を日本の現在のニュースの内容を討論し、残り2時間が歴史の講義でした。講義の進行に関しても、前学期の延長と言って変わりありませんでした。
 近代台湾城市史は、台湾史の中でも、都市についての内容で、清代台湾の都市の成立から、植民統治及び、植民都市の形態に到る内容や、古跡の保存や現在の社会の状況との矛盾等も含めた、幅広い講義内容でした。毎週の指定閲読があり、また指定閲読書のサマリーを書く宿題も多く、グループレポートもあり、内容的には比較的重かったのですが、その内容の多岐さと豊富さは、この後に役に立ちました。
 「歴代宝案」與朝貢貿易は、沖縄の天后宮で発見された、朝貢貿易の文献を解読する内容で、文献解読のための講義と言える内容でした。講義内容自体も重く、頭を悩ませながら毎回講義に出席していましたが、実際に公文書は書き方が決まっている部分があり、この時に知ることになった、工具書やデータベースは、その後に大いに役立ちました。
 台湾史経典名著は、二年二学期に受けた台湾史文献選読(1603-1895)の簡略版とも言う内容でした。既に、二年二学期に台湾史文献選読(1603-1895)を受けていた為に、講義の進行方法を理解していましたし、その時とはまた別の資料を解読する内容ではありましたが、スムースに講義を受けられた記憶があります。印象的だったのは、長老派教会の牧師であるGeorge Leslie Mackayの「From Far Formosa」が題材になった時でしたが、この本の出だしに「Far Formosa is dear to my heart. On that island the best of my years have been spent. There the interest of my life has been centered. I love to look up to its lofty peaks, down into its yawning chasms, and away out on its surging sea. I love its dark-skinned people—-Chinese, Pepohoan(平埔族、平地原住民、熟蕃のこと), and savage(高山族、高地原住民、生蕃のこと)—-among whom I have gone these twenty-three years, preaching the gospel of Jesus.」と書かれている部分があり、この部分を初めて読んだ時に、Mackayの台湾に対する深い愛情を強く感じ、感動した記憶があります。Mackayの台湾での布教方法は、聖書を読まれている方なら、気づかれると思うのですが、イエスの行動をかなり意識した形で、医療行為を中心にして行われました。台湾は長老派教会の信者数が多く、また台湾史研究では無視することが出来ないほど、その影響を受けていますが、台南ではイギリス長老派教会のJames Laidlaw Maxwellが1865年から布教活動を始め、それに対しカナダ長老派教会のMackayは1872年から台湾北部の淡水を中心にして布教活動を始め、第二次世界大戦後は、この南北の長老派教会が統一して、台湾基督長老教会となります。
 伝統中国法は、法律系と歴史系が合同で開講した科目で、清代の法律を中心に講義が進められ、期末には「淡新档案」を分析したレポートを提出する内容でした。毎週指定閲読があり、基本的にはこれを読んでいないと毎週の講義が理解できない内容にもなっていました。この講義で学んだ近代法と清代の法律の違い、その概念の違いを学んだことが、四年になって学士論文を書くときに、かなり役に立ちました。そして、この講義は私自身も法律について理解を深める部分が多く、また考えさせられる部分も多い講義内容でした。
 清代台湾開発史(二)は、前学期からの続きの内容で、講義の進行方法も、前学期と変わらず、指定閲読書を毎週読み、そして前学期に書いた、フィールドワークの計画書に沿って、フィールドワークを行い、期末レポートを書き、それを発表する内容の講義でした。フィールドワークに関しては、私は河洛語(所謂、台湾語と呼ばれる台湾閩南語)が話せない為に、前学期中には教授に相談して、フィールドワークの場所を決め、新竹市内にある天后宮に関するレポートを書きました(結果的には先輩と一緒にフィールドワークを行う事になり、先輩が河洛語を話せた為に、助かった部分がありました)。
 日本近現代資料解析(二)も、前学期に続いて受けた講義で、教授も変わらず、講義内容や方法も前学期と変化がありませんでした。

 三年の二学期も、20単位と単位数は多めでした。この学期は、全てが系内選択科目を選んでおり、卒業に向けての単位取得の面では、かなり楽になった部分ありました。しかしながら、選択科目の半分以上が、修士課程が開講していた講義だった為に、やはり学期中はそれなりに大変でした。それでも、自分が取りたい科目を取れたこと、そしてやはり自分の興味がある科目を選択できたこともあり、結果的には自分でも驚くくらいの成績が取れました。この結果は、自分にとって大きな自信となった事は間違いなく、三年生が終わると共に、四年になったら学士論文を書こうと思ったのも、この学期に受けた講義からの影響もありました(台湾大学の歴史学系では、卒業時に論文を書く必要はありません)。
 また、この三年生を終了した後の夏休みに、卒業条件に関係している進階英文を受ける事となり、それも無事にパスすることができました。こうして、卒業条件を一つまたクリアすることもできました。この進階英文は、なかなか面倒な科目でしたが、それでも台湾大学の学生でも英語の苦手な学生はいるんだな、と妙にホッとした記憶があります。しかしながら、今思うと、この進階英文を受けた後は、ウエブ上で英語のニュース類も、それとなく読める様になり、確かに効果は実感できました。学士論文に関しては、夏休みの半ばも過ぎた8月の後半に、書くことを決め、指導教授も見つけ、8月末にはテーマも決定して、そのまま資料集めや、先行研究のリサーチ等を開始しました。
 そうして、夏休みが終わり、最後の一年、四年生がスタートすることになります。
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by ken1horie | 2014-07-22 01:05 | 台湾大学留学 | Comments(0)
 三年の一学期に受けた講義は、日本通史(上)(古代から平安末期か鎌倉初期だったか)、台湾近代史(清朝末期から日本の第二次世界大戦の敗戦まで)、近代中国邊疆史、現代中国與世界:1842-1911、台湾歴史與文化、清代台湾開発史(一)、日本近現代資料解析(一)、日治時期台湾原住民之文化政治、服務学習(三)校内服務の合計19単位でした。
 三年になると、多くの系内選択科目を履修する事が可能で、また必要な卒業単位数を数えながら講義を選択した部分がありました。今回履修している科目は、全て歴史学系(大学部)と歴史系(マスター)が開講している講義に服務学習を加えた形でした。

 日本通史(上)は、台湾人から見た日本の歴史はどのようなものなのか、興味があり選択しました。更に私は日本では、中学生までしか真面目に歴史の授業を受けていなかったのもあり、もう一度日本史を学ぶいい機会でもありました。講義方法が、ちょっと風変わりで、3時間の講義でしたが、最初の1時間を日本の現在のニュースの内容を討論し、残り2時間が歴史の講義でした。尖閣諸島の問題や、安倍さんが首相になった時期とも重なり、教授とは意見が対立する議論を割と多くした記憶があります。
 台湾近代史は、軽い気持ちで違う教授がどのように台湾史を講義するのかに興味を持って受ける事にしました。必修の台湾史は既に受講済みだったので、その時の教授の歴史観との違い等を踏まえつつ、復習する感じで受けました。授業内容的には、宿題や期末レポートもあり、軽くはありませんでした。
 近代中国邊疆史は、単なる軽い気持ちで中国の辺境ってどんな感じだったのかしら?と選択しました。講義内容は面白かったのですが、人名が中々覚えられず、結果としてテストの点数は、あまり良くありませんでした。それでも、講義内容は面白かったですし、モンゴル、ウイグル、チベットの問題も改めて色々な論文や資料を読まないとダメだなと感じました。
 現代中国與世界:1842-1911は、必修科目の中国史(四)の予習として選択しました。通識科目でもあるこの講義は、学生の人数が非常に多く(それだけ、講義内容も重くなく、それでいて3単位なのも、大きく影響していたと思います)、基本的には2時間、教授の講義を聴き、残り1時間が討論でした。中国史(四)の予習になったかどうかは、結局判りませんでしたが、この時に購入していた教科書類は、後々役に立ちました。
 台湾歴史與文化は、政治大学から移られてきた呂紹理教授が開講した講義で、台湾大学の教授の講義方法とは、また違い、同じ台湾史の講義でも、新鮮な部分がありました。講義の内容は、古代から現代に到るまでの台湾史についてで、グループレポートがありました。
 清代台湾開発史(一)は、現在私の指導教授の李文良教授の講義でした。この講義を受けようと思ったきっかけは、日本統治時代の歴史を理解するには、やはり清朝統治時代の歴史を理解していないと、深い部分まで理解できないのではないのか?と疑問が浮かんだために選択しました。毎週指定閲読があり、期末のレポートはフィールドワークの計画書という内容で、軽い内容ではなかったのが印象的ではありましたが、講義内容が多岐にわたっており、清代の台湾史を理解する上では大変有意義な講義でした。
 日本近現代資料解析(一)は、日本の近現代の文献の解読を行う講義でした。母語が日本語である自分でも、文献の中には読めない熟語等があり、また候文を読んだりもして、やはり資料を前もってそれなりに調べておかないと、対応できない内容でした。文献の解読は、歴史研究に於いては、基礎的な事なので、例え母語が日本語であったとしても、こういう講義を受けておくと、少しでも文献を読むことに慣れる部分があります。
 日治時期台湾原住民之文化政治は、愛知県にある私立南山大学の松田教授が開講された講義で、日本語で受ける講義でもありました。ずっと中国語で講義を受けてきて、ここで初めて日本語での講義を受けました。なんと解り易いことか!母語で高等教育を受けることが、ここまで理解しやすく、また負担が少ないことを、改めて痛感しました。最近は日本の大学でも、英語で行う講義を増やす傾向にあるみたいですが、その辺はうまくバランスを取った方がいいんじゃないか、とも思いました。実際に、英語に関しての問題は、全ての人が解る必要はなくて、英語が必要な地位にある方の英語力が低い事が問題なのではないのか、と個人的には感じています。また、私はさっとではありますが、理蕃誌稿に目を通していたので、講義内容は把握しやすい部分がありました。
 服務学習(三)は、台湾大学の校史館での日本語ガイドでした。台湾大学の歴史を知るいい機会でもありましたし、台湾史の講義を主に受けていた私には、面白い内容でもありました。四年生になって、この校史館の服務学習のTAを担当する事になり、日本からの賓客の参観時には、ガイドを担当する事もありました。また、校史館が収集保存しているオーラルヒストリーのインタビューを手伝ったりもして、校史館とは、浅からぬ関わりを持つことになりました。

 三年の一学期も、19単位と単位数が少なくない学期でした。しかしながら、ある程度卒業に向けて単位が取れたこと、また台湾史に関する講義も自分が思ったように取れたことで、忙しいながらも充実した学期でした。また、ひょんなことから校史館の服務学習を選択した事で、その後に自分自身、講義以外にも台湾に関する面白い話を聞くことが出来る様になったのは、自分にとっても思いがけない収穫でした。そして、自分が受けたい講義を主に取ったのもあり、自分では意識していませんでしたが、成績も以前に比べて確実に上がっている結果を残せた学期でした。
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by ken1horie | 2014-07-19 02:08 | 台湾大学留学 | Comments(0)
 週末に、台南と玉井に行ってきたのですが(2年前に行って以降、毎年行っています)、その時に現在成功大学華語中心に語学留学している友人から、少し話が聞けましたので、それをblogの記事にしておこうと思いました。実際に台湾の語学留学に関してですが、殆どの方が台北を選択すると思います。しかし台南も選択肢として考慮する価値はあると、今回思いました。

 学費に関しては、台湾大学の語学中心に近い一学期約3万元前後(2014年の学費)ですが、生活費に関しては、台北よりかなり抑えられるのを、友人から聞きました。また、華語中心の学生でも成功大学のBOT(ワンルームタイプのマンション式学生寮)に住む事が可能で、家賃も1ヶ月6700元(この値段は、今年の9月よりの家賃価格です)とのことでした。華語中心の学生が入居出来ると言うことは、現在空き部屋が多いのかもしれません(余談ですが、台大の語学中心の学生は、台大のBOTには入居不可です)。台湾に来て、中国語があまり話せない状態での部屋探しは非常に大変で、以前にも記事にしてありますが、基本的には自分の住みたいエリアへ行き、そこで部屋貸し出しのビラというか、ポスターを探して、それに記載されている大家さんの連絡先に電話をしなければならないために、部屋探しの難易度が高いのです。学校側が住む場所を提供しているのは、やはりそれだけで心理的な負担も減りますし、台北でワンルームを借りると10000元はしますから、それだけでもかなり節約出来ます。
 ただ、実際にそれだけ部屋を提供出来ると言うことは、学校の周りにもっと安い部屋があるんだろうな、とも想像はできますが、それでも労力や時間の事を考えると、これはかなり便利なのではないでしょうか。この家賃の差額だけを考えても、台北にある語学中心よりも、金額的には安くなります(因みに、友人は成功大学華語中心側から、BOTへの入居を勧められたと言っていました)。
 また、友人と成功大学の周りでご飯を食べたのですが、一食60元もあれば、お腹いっぱいに食べられるのです。食べる物にもよるのでしょうが、台北で食べたら、これは80元はするな、という内容でした。食費に関しては、2割か3割くらい、安くなりそうなイメージがありました(あくまで個人的なイメージなので、注意して下さい)。

 授業の内容に関しては、細かい事は聞きませんでしたが、教科書は實用視聽華語を使っており、聞く限りでは、私が以前に在籍していた師大国語中心と、授業内容はあまり変わらない印象を受けました。
 学生に関してですが、やはり一番多いのは日本人とのこと。しかし、聞く分には師大国語中心みたいに、日本人ばかりみたいな印象は受けませんでした。
 成功大学内は、公園みたいになっていて、しかもあまり建物が密集している感じがないために、広々とした印象を受けました。台湾大学が、正に帝国の大学であった雰囲気があるのに比べて、成功大学は、現在の大規模総合大学的な雰囲気で、この違いが印象的でした。

 ただ、台南在住の場合ですと、台北と違って若干生活での不便さはある様で、友人は台北みたいに簡単に日本語の書籍が入手出来ない事が、今の所悩みの種だと言っていました。しかしながら、台北ですと中国語を話せなくても生活出来てしまう便利さが有りますし、日本人も多く住んでいます。以前にも記事にしましたが、カナダ人の友人がまず、台中で先に中国語の基礎を覚えてから台北へ来た様に、台南で日本語から切り離れた生活を選ぶ、というのも一つの方法かも知れません。

 あと、気候の面ですが、台南は熱帯に属していますが、夏でも日陰に入ると、涼しいのです。台北が盆地で、夏は暑く、冬は寒くて雨ばかりの気候である事を考えると、夏は暑くても台北の様に蒸し風呂みたいな暑さではなく、風が涼しく、冬は温暖な台南は、生活の面でも過ごし易そうです。

 実際に私は台南に住んでいる訳ではないので、生活面での不便な部分は判りません。また、現在日常的に中国語を話して生活している身としては、中国語が話せない状態で台南に住む事にした場合の困難さも、想像出来ない部分が有ります。情報が入り易い、そして日本人が多い台北は、何はともあれ便利な部分が有ります(面倒な部分も同時にありますが)。
 それ故に私自身は、どちらがいい、とは言えないですが、実際に友人が台南で生活している姿を見る限りでは、台南への語学留学と言うのも、やはり選択肢の一つだと感じました。

 この写真は成功大学内にある、昭和天皇がかつて植えたと言われるガジュマルの樹です。
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by ken1horie | 2014-07-14 13:07 | 台湾語学留学 | Comments(0)
 二年の二学期に受けた講義は、世界史(四)(フランス革命から第二次世界大戦後まで)、台湾史(下)(清朝末期から日本の第二次世界大戦の敗戦まで)、中国史学史(下)、台湾史文献選読(1603-1895)、基督教倫理、当代基督教歴史與文化、認識台湾:空間資料分析、羽球中級(バドミントン)、服務学習(二)課業補導の合計19単位でした。
 先輩から中国史(四)は重いし、教授も定年で来年は変わるから、来年受けた方がいい、と言われたのですが、実はこれが大失敗で、次の年には更に講義内容が重くなり、この中国史(四)は四年生の二学期に、最後に残った必修科目として受ける事になりました。この学期は、必修科目、系内選択、通識科目と、バランスよく取れた反面、単位数が19単位となり、この学期から学期中は、友人とどこかへ遊びに行くことを基本的に放棄することにしました。それが、基本的には卒業まで続く事になるとは、この時には想像もしていませんでした。

 世界史(四)は、それなりになんとかやって、それなりの成績を収めた必修科目でした。私は全体的に必修科目の成績があまり良くなかったのですが、これは間違いなく自分の興味が薄い科目にはっきりと表れる現象でした。それでも、単位を問題なく取れ、成績もそれなりでしたので、最後にホッとした記憶があります。
 台湾史(下)は、前学期と同じ教授が開講した科目でした。日本統治時代の台湾に関する歴史は、やはり自分が日本人である為に、興味が尽きないな、と講義を通して感じた部分がありました。
 中国史学史(下)も、前学期と同じ教授が開講した科目で、この一年間を通して受けた科目なのですが、正直言うと、講義を受けた当時は、あまりこの科目の重要性とか、内容に関してそれなりに把握していた、理解していたとは言い難い部分がありました。しかし、この講義を受けたのは、後々になって効いている気がします。日本統治時代の台湾の歴史を知るとしても、中国史的な知識は必要で、そういう部分では、この講義で得た事柄は、以後感覚的に役に立っている部分があります。
 台湾史文献選読(1603-1895)は、この学期中一番重かった科目でした。毎週文献の分析をして、それをグループレポートするという内容で、その文献も一次資料だったものですから、ある意味歴史研究の初歩的訓練とも言える講義内容でした。また、この科目の教授は台湾史研究ので有名な周婉窈老師で、全く手を抜けない科目でした。しかし、この講義を受けてから、少しずつ文言文(所謂中国の古典文章)の読み方を少しずつ身に着ける事が出来る様になった部分があり、資料の分析方法を学ぶには、とても良い科目でした。
 基督教倫理は、通識課程の科目で、何となく選択した科目でしたが、敬虔なクリスチャンってこんな感じなのかなぁ、と思いながら受けつつも、キリスト教を理解する上では、面白い内容の科目でした。因みに私は期末テストで散々言いたいことを書いたのですが、それでも良い成績がもらえたのは、多分講義内容を理解した上で、それに対する反論を書いたから、なのかも知れません。とは言え、余談ながら私の宗教観は、仏教徒的であるというより、キリスト教徒的(それもプロテスタント系)に近いんじゃないのか、と最近思うことがあります(宗教信仰を聞かれれば、仏教徒であると答えますが)。
 当代基督教歴史與文化は、一年一学期に受けた古代基督教歴史與文化の続きとも言える講義内容で、教授も同じ方でした。講義内容も、宗教革命以降、現在に至るまでのキリスト教の問題等が含まれ、また他宗教との衝突についても講義では話していました。「宗教が政治化してから、他宗教との衝突が起こった。宗教が政治化しなければ、他宗教との衝突は起こらない。」と講義でやるせなさそうに話されていた事が、今でも印象に残っています。
 認識台湾:空間資料分析は、実際の資料を基にして、それを分析する講義内容でした。どちらかというと、統計学的な内容の科目でしたが、通識課程の科目でありながら、毎週宿題があり、内容的には軽くない講義でした。しかしながら、統計の基礎的な感覚が、それなりに理解できた部分もあり、またデータの読み方にも触れることが出来、個人的には面白かった記憶があります(とはいえ、相変わらず自分の数学能力の無さには泣けましたが)。
 羽球中級は、前学期に引続いて選択しました。これで、体育の必修を終わらせることが出来ました。
 服務学習(二)課業補導は、毎週土曜日に、経済的に恵まれてない小学生の宿題を見る内容でした。私は外国人で、中国語が母語ではない為に、小学生低学年の算数を見たりしていましたが、小学三年生の国語(中国語)の宿題でも、成語(四文字熟語等)が多く出てきており、びっくりした記憶があります。また、台湾の貧富の差を知るいい機会でもありました。とは言え、やはりこの服務学習、面倒な科目だな、と思った部分もありました。

 この学期から、忙しくなった事は間違いありません。とは言え、忙しくなると余計な事を考えないで済むな、と思ったことも間違いなくて、その忙しさ故に、講義に集中できた部分がありました。この学期から、私の成績も徐々に上がり始め、それは中国語がかなり聞き取れる様になった事と、自分の興味のある科目が多く取れる様になった事が、プラスに働いていったのかも知れません。実際に、この学期以降から、自分自身色々と、知る、学ぶことの楽しさを感じる機会が多くなったのは、間違いないと思います。
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by ken1horie | 2014-07-11 13:59 | 台湾大学留学 | Comments(0)
 二年の一学期に受けた講義は中国史(三)(唐朝の崩壊から元の崩壊、明の成立まで)、世界史(三)(ルネサンスからフランス革命の手前まで)、台湾史(上)(大航海時代の台湾の発見から清朝末期まで)、中国史学史(上)、普通心理学、客家與台湾発展、羽球中級(バドミントン)の合計17単位でした。
 取りたい科目を全て取ったとは言いがたいのですが、取りあえずは15単位以上の講義を受けようとしていたのと、必修以外にも、系内の選択科目が、やっと一つ取れ、其の他は通識課程の講義を選択しました。

 中国史(三)は講義内容をまとめたものが、学生の間に広まっていて、私もそれを見ながら講義を受ける形でした。現在はこの講義の担当教授が変わっているので、どの様な講義を行っているのか、は判りませんが、私が受けた当時は、昔ながらの教授が話し続けるタイプの講義でした。ですから、その内容をまとめたものを見ながら、講義を受けていた為に、内容はそれなりに理解しやすかった記憶があります。
 世界史(三)は、何故かあまりやる気が出なかった科目で、成績も単位を取れただけ、の結果でした。ただ、ルネサンス以降からフランス革命の手前までで、大航海時代に関しては台湾史とも関連があり、その部分だけは割と熱心に講義を聞いていた記憶があります。
 台湾史(上)は、ある意味この後の私の方向を決めた講義でもありました。大学に入ってから、漠然とではあるのですが、台湾史に関する講義を色々と取れれば、と思っていたのですが、この講義を受けてから、台湾史に関する興味が増したことは間違いありません。台湾史に関しては、中国史的な見方もあれば、世界史的な、大航海時代の歴史ともしても見る事ができ、また移民の歴史としても見る事が出来ます。台湾史のその多面的で、一面的な見方が出来ないことと、その複雑さに魅力を感じました。また、この講義の教授が、私の学士論文の担当教授であり、大学院でも引き続き担当教授となる(未だ大学院が始まった訳ではありませんが、既に修士論文等の打ち合わせはしています。)とは、この時には全く思ってもいませんでした。
 普通心理学と客家與台湾発展は、共に通識課程で、どちらかと言うと単位が目的ではありましたが、普通心理学を受けたあと、何故台湾大学の心理学系が理学部に属しているのか、が解りました。講義の内容は、基本的に生物学的な内容で、自分には判り難い部分もありましたが、内容は面白かった記憶があります。客家與台湾発展は、何故か途中で袁紅冰氏の講演があったりと、この科目の目的って何なんだろうなぁ、と思いながら受けていた記憶があります。
 中国史学史(上)は、中国史(一)の時の教授が開いている講義で、中国史学の歴史でした。この講義も実は非常に重く、また中国史学の歴史や中国の思想に疎い私には、非常に悩む部分が多い講義ではありましたが、この講義は教授が毎回の講義の内容のワードファイルを講義のサイトにアップロードしているので、それを読み、それに関連する書籍に目を通しながら、何とかやり遂げました。
 羽球中級は、以前私はバドミントンをやっていたので、選択しました。やはり上手な人は本当に上手で、それでも昔やっていたのもあって、楽しみながら、この科目を受けることができました。ただ、朝早かったのだけは、辛い部分がありましたが。

 この学期は、基本的に必修科目に時間を割いた学期となりました。しかしながら、正式に台湾史の講義を受けて、台湾史の魅力の一端に触れられた部分は、非常に大きかったと思いますし、また自分が今後進む方向が、何となく見えた学期でもありました。この二年生の一学期は、間違いなく自分が大学で学ぶ方向が決まった学期でもあり、それが早めに見つかったことも、この後に、特に悩むこともなく科目選択ができた原因かも知れません。
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by ken1horie | 2014-07-07 17:08 | 台湾大学留学 | Comments(0)
 一年の二学期に受けた講義は中国史(二)(魏晉南北朝~唐朝の崩壊まで)、世界史(二)(ローマ帝国の分裂からルネサンスの手前まで)、国文(下)、英文(二)、古代基督教歴史與文化、初級水泳、服務学習(一)の合計15単位でした。この二学期は、取りたい科目が殆ど取れなくて、最終的にぎりぎりの15単位になった時に、ホッとした記憶があります。これ以降は、何とか自分が取りたい科目が取れる様になったのですが、どうも一年の時は、科目選択で、思うように自分の取りたい科目が取りにくいみたいです。

 私は外国人学生の為、通識科目選択(日本でいう一般教養的な科目と言えばいいのでしょうか)に縛りがなく(同級生は選択しても、単位として計算されない科目がありました。この学期に選択した古代基督教歴史與文化は、まさにそういう科目でした)、自由に科目を選べた為に、何とか規定の15単位に達する事が出来ました。
 中国史(二)は、中間テストの結果が非常に悪く、追加でレポートを書き、それでも最後は、それなりの成績で終わりました。追加で書いたレポートの出来が良かったみたいで、それに助けられました。
 世界史(二)は、討論も少なくなく、その討論用の資料も英語の物で、かなり頭を悩ませた記憶があります。また、その資料を基に小レポートが5回、グループレポートが2回と、この一年生の二学期は、主に世界史(二)に注力していた学期でもありました。確かに私の英語力は高くないのですが、それでもこの講義を通して、少しは読めるようになったことは間違いありません。
 国文(下)と英文(二)は前学期の続きと言える科目で、教授と講師も変わらなかった為に、前学期の方法を思い出しながら対応しました。
 古代基督教歴史與文化は、世界史(二)の内容が、キリスト教を理解している方が解り易いだろうと思って選択した科目なのですが、非常に面白い講義内容で、キリスト教に対する基礎知識を得るには最適でした。また、この講義の内容が、この後に台湾史の講義の中で、かなり役に立ちました。台湾史研究にはキリスト教の影響を無視できない部分があり、最低限のキリスト教の知識が必要なのも、この後に知る事となりました。
 初級水泳は、単に自分は当時クロールが出来なくて(平泳ぎしかできなかった)、それをなんとなく克服できればいいな、という軽い気持ちから選択しました。実際、この科目を選んで以降、水泳は私の日常的な運動の習慣となって、今でも週に数日は泳ぎに行っています。そして、台湾人は泳げる人があまり多くない為に、下手でも恥ずかしくないのです。おかげさまで現在はクロールで泳げるようになりました。
 服務学習(一)は、所謂サービスラーニングと呼ばれているボランティアクラスと言えばいいでしょうか。この服務学習(一)は、文学院の掃除でしたが、必修科目でもあるので、やることはやっておきました。こういう科目を落とすと、後々面倒だろうな、という心理が働いていたのも、大きいと思います。

 一年生二学期は、そんな形で終了しましたが、やはり一学期に比べて慣れた部分もあり、一学期ほどの辛さはありませんでした。講義内容も段々と聞き取れる様になり、そうなってくると、講義に面白さも感じる様になりました。また、講義にはシラバスも用意されており、その中に指定閲読書や、参考書目類も載っているので、それを図書館で読み、講義中聞き取れなかった部分や、解らなかった部分を補っていきました。実際に、図書館には各講義の参考図書を集めてあるコーナーがあるので、そこに行って本を読んだりもしていました。
 そういう意味では、勉強する為の環境は、整えられており、私は大変助かりました。この二学期も単位を落とすことなく終了し段々と大学生活に慣れてきた手ごたえも感じられた学期でした。また、中国語力も大学に入ってから、大きく伸びました。やはり聞く、喋る、読む、書くをひたすら繰り返す生活は、語学力を高めてくれますし、その方法が、自分にとっては一番の語学学習方法である事を感じました。
 そして、あっという間に一年が過ぎ、二年目を迎えることとなります。
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by ken1horie | 2014-07-04 13:04 | 台湾大学留学 | Comments(0)
 一年の一学期に受けた講義は中国史(一)(古代〜魏晉南北朝の手前まで)、世界史(一)(古代〜ローマ帝国の東西分裂辺りまでだったかな?)、史学導論、国文(上)、英文(一)、体育(一)の合計16単位で、全て必修科目でした。講義の選択システムが全く分からなくて、何もせずに自動的に選択される必修だけを受ける形でした。後から知ったのですが、15単位以上講義を選択しないと、自動的に退学になってしまうとのことでした(しかしながら、事情がある場合は認められます)。

 実を言うと、大学入試前に学生による入学アシストのボランティアを申請していたのですが、そのボランティアの方がずっと中国へ行っていて、連絡も取れず、結局入学までの事は全て自分で何とかしてしまいました。結局自分の場合はボランティアの方にお世話になる事は、殆どなく、一度だけ一緒にお昼ご飯を食べたくらいで、その後も連絡を取ることもありませんでした。とは言え、一応不安があれば、入学前にはボランティアは申請をしておいた方がいいかも知れません。しかし、大きな期待はしない方がいいと思います。

 実際に、講義が始まってから、びっくりした事は、中国史(一)で最初に配られた資料が、簡体字だったことと、指定の教科書の内容が文言文(古典の書体)に近い文章のものだったことでした。自分の場合は、日本では中国語を学んでおらず、台湾で一から始めたので、簡体字は全く読めませんでした。また、中国語の古文の基礎知識もなかったので、読むこと自体が大変でした。そして毎週読む指定閲読類も少なくなく、また二週間に一回の割合で討論クラスもあり、その時だけは、きちんと指定閲読資料を読んでおかないと、討論で発言はしなくても、周りが何を言っているのか判らない、なんてことにもなりかねませんでした。
 そんな風に重い講義内容の中国史(一)でしたが、TAと教授に助けられました。本当に何度か挫けそうになったのは間違いなくて、でも何とかやり通せたのは、やはり教授とTAの助力があってだと思います。

 世界史(一)に関しては、教科書は英語の物らしいと聞いていたので、それほど衝撃は受けなかったのですが、自分の英語力のなさに関しては、もう笑うしかないくらいでした。世界史(一)も討論のクラスがありましたが、中国史(一)みたいに重い内容ではなく、また図書館にある世界史の日本語書籍等も利用しました。
 史学導論も、TAに助けられた部分が少なくありませんでした。史学概論の指定閲読書が、E.H.Carrの「What is History?」だったのですが、これの中国語訳本の外国人名や外国地名が中国語で書かれている部分が、最初判り難かった記憶が、今でも残っています。しかしながら、レポートの書き方や、サマリーの書き方、注記に関してはシカゴスタイルで、等々、基礎的な内容の講義であったことは、間違いありませんでした。

 国文(上)は、外国人学生専用のクラスでした。講義内容が、中国の古典や文学を主に扱った内容だったので、私には楽しい講義内容でしたが、理系や中国語力があまり高くない学生からは不評でした。
 英文(一)は外国人と華僑生の専用のクラスで、何とか単位を落とさずに済んだ、という感想しかありませんでした。本当に自分の英語力のなさを痛感しました。
 体育(一)ですが、やはり年齢によるものなのか、18歳の同級生たちと一緒に受けていて感じたのは、明らかに体力差が判る事でしょうか。本当に自分が若くない事に対して、苦笑い続きでした。

 私は師大国語中心で、二年間中国語を勉強して、最後は一番上のレベルのクラスで勉強していたのですが、それでも一年の一学期は本当に教授や、同級生が何を言っているのか判らなくて、大学と語学学校の違いを痛感した学期でもありました。それでも何とか単位を一つも落とさずに、この一学期を終えた事は、自分にとって大学生活を続けていく上での自信に繋がったことだけは、間違いありませんでした。
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by ken1horie | 2014-06-26 23:22 | 台湾大学留学 | Comments(11)